何かを成すためにまずは郷には郷に従え
自分の考え、他人の考えって、結局、人になにを言われたところで、ガラリと変わることはない。
共感、ということはもちろんあるが、絶対になんらかの感情を抱き、そこに主観は必ず生まれる。
人間は、生きてきた環境、持っている遺伝子などなどさまざまなもので構成され、生まれた時から全員が別の価値観を持っているのだと思う。
だが、これだけ多くの人がいれば、似ている環境にある人、というものが結びつき、そこで郷が生まれていくのだろう。。。
その郷が大きいほど、その考えは固定となり、考えに従わない者は排除される仕組みになっていく。
国、業界、会社、友達、家族、恋人……、小さな郷は言葉で伝えることだけで容易に動かせるが、それがとにかく大きすぎる郷であれば、個の大志など、ちっぽけなものになるのだ。
どんな大志を抱いた所で、地位、名声、そして先立つ資金力(結果、資金を動かすだけの地位)なくては目的は成せない。
それ以上に、郷には郷に従いながら、その郷にいる人々の心を動かすだけの
「カリスマ性とナレッジとテクニック」
が必要だと感じてしまう。
郷に従わずに郷の中ですべきことをせずに意見を言ったところで、ただブツブツ文句を言ってるだけの人と揶揄されるだけで、結果人はついてこない。
もちろん、一時的にそれがカリスマ的に見えて、崇拝されることもあるが、
それこそ、ごく限られた人材であり、それすらも少ない集団の信者が自分たちの輪(郷)の中で従ってるだけだ。
つまり、どこにいたとしても、その郷の中での正しいことでしかないのだろう。
以前、選挙があったが、割と言ってることがもっともだなーと思ってた無所属の候補の方が、結果、議員になれなかった。
ある偉いおじいちゃんが、その議員候補を推してて、結果、そのあとで、
「若者は政治に興味がなさすぎる。これから日本が荒廃するのは君たち個人の責任だ!見ててごらんなさい。絶対に日本はダメになっていくから。それも全て君たち若者のせいだ。」
とか言っていたのを聞いた。
個人的には、
「いや、そうだとしても、ダメ出ししただけで、何がしたいんだろうな。ただの愚痴かな?」
と思ってしまったりもした。
興味ないことに対して、興味持ちなさいっていう説教だとしたら、個々人の価値観を一方的に否定がちに見過ぎて、押し付けようとしてるところが、なんかすごい昔の日本っていうか、古臭い考えすぎて、どうでもいいなと思ってしまう程度の感覚に苛まれてしまった。
これもある意味、私独自の価値観なんだろうなと思うし、なんだかんだそのおじいちゃんの話はいろんな価値観があるなぁと思いながら聞いているものの、まぁ、発言だけで何かが変わるなんてそう簡単なことじゃないだろとも思ってしまう。
見方を変えれば、発言するということが、もっとも簡単な「何かを変えるために動いてみたこと」なのかもしれない。
動かないより言った方がいい、言うだけタダ、という発想で、もちろん、受け入れられることもある。だが、それはあくまでも共感から生まれる同胞意識によるものだ。
その郷にはない発想が主張された時に、それが「モンスターペアレント」とか「クレーマー」、「ハラスメント」というものにつながるとも考えてしまう。
それも結果、もし、内容が本来受け入れられるべき内容かどうかということと、言い方や伝え方、受け手がどう捉えるかで結論が変化するのだなと思った。
なんとなーくだが、それが社会の仕組み、、、といっても過言ではなさそうな気がしてる。
ただの妄想だけど、有権者が、自主的に立候補された見ず知らずの政治家ではなく、現代の技術を使って、
「本当に国の方針を決めてほしい日本人、10人」(自由記載)
で投票してたら、いろんなことが変わるかもしれない。
(私のただの予測では池上彰さん、ビートたけしさん、マツコデラックスさんのような、自分の意見をきちんとメディアで伝えてる人物や、大企業の社長さん(孫さんや柳井さんと)、櫻井翔さん、指原莉乃さんのようなアイドルだけどニュースに関わってるような人が入りそうだけど、案外全然聞いたこともない変な人が上位に来る可能性もあるよね。)
日本国民全員が投票する義務として、義務を果たすための制度を導入したら、どれだけ影響力のある人が集まるのかと逆に言えばそういうことが本当に価値のある情報であり、知りたい。
近所のおじさんとかが10票くらい入ってるとかもありえそうで、自分の影響力がどれほどあるのかを知るための指標って、すっごい差別化された世界だなーとか思うし、もはや漫画なんだけど。
と、まぁ、これは、絶対にそうはならない、という現実をきちんとわきまえた上での妄想であり、
結局、自分たちの地位を変えたくない人たちがお国を動かしてるのだから、選挙制度も大胆には変わらないし、
そもそも、「そこに大胆な変化が必要じゃない」と決めてるから、なにも変わらないのだろう。
通ったこともない小学校の体育館とかで、紙に書いて投票とか、もう時代遅れすぎて逆に面白くなっちゃうくらいだけど、なんであんなのを繰り返しているのかには、絶対その人たちの思惑があり、投票率50%を下回っても、自分たちが動かしてやすいような組織でありたいから、そうしてるだけなんだと思う。
古き良きを重んじ、慣れたものを変えようとしないのは、日本人あるあるだ。
それを変えなきゃって全員が思う日が来るのはいつか。
多分、日本という郷が消えた時だが、多分そんなのは天変地異が起きたら、宇宙人が侵略でもしてこない限り、限りなく少ない確率でしか起きない。
頑張って変えようとしてる志を持って数人が動いても、きっとすぐには変わらない。
世界のスピードをみたら置いてけぼりになるのは間違いなく、結果、世界、他国という「郷」に飲まれて、なるようにしかならないことになってしまうのが先かもしれない。
現にアメリカという郷に従っているのだから、どんなに批判したところで、結果、大きなことは一気にガラッとなんて変わらない。
まぁ、ガラッと変えようとしてるのが、テロリストなのかもしれないし、有るより無くしてしまえ、という発想が行為に至らせたいるわかりやすい行動かもしれないが、
結果、世界的に批判されてしまい、それすらもただの自己満足で終わってしまうのが現実だ。表現の仕方が万人に受け入れられないからだ。
正直、日本は世界大戦で敗戦しても、生き残っている。
どんなに苦しい生活を余儀なくされていた時代があったとしても、死にゆく者は死に、それでも生きているし、豊かな時代を迎えている。
人生という時間は思う以上にあっという間に過ぎ去ってゆき、気づけば苦しい戦時中を過ごした人がどんどん少なくなっていく。
世界の巨大な郷が、日本を攻撃しようと思ったら、あっという間に私たちの郷は潰れてしまうだろうが、それでもまた立ち直る。
大きなことを主張するのは、何かを言いたいというエゴからだ。
現にこんなただの北海道でひっそりしてるアラフォー独身OLの私ですら、今、壮大なことを書いてみたわけだし、
多分誰しもそれについて考えようって思ったら、それぞれの意見を持っていて、全部聴いてたら多分人生無駄にするだけだから、ただの独り言なだけなのだ。
大きいことをいう人が、本当にそれをなしたいとかはただの妄想。
私、というか、多くの人は自分が生きている間、ほんの少しの自分自身の身の回りの未来だけでも、なんとか思うように幸せに生きられるように、郷の中でどうたち振る舞うかを考え、周りの人たちがどうすれば幸せになり、それによって私自身が幸せになれるかを考えて生きているのだろう。
その短い時間で、いろんなことを妄想して、少しずつ実現させてるのが幸せだとも感じているのだ。
人間は全員、自分都合だ。
マザーテレサであっても隣人を愛するという優しい感情を持つのは自身の判断だ。
どんなテロリストだって全部自分の判断で、物事を批判することは全部自分自身のエゴでしかない。
かくいう私もその一人だし、だから、今を生きているし、自分自身だけの狭い未来を見ている。
だから、今身の回りで起きてる困っている小さいことを私なりに解決していこうと思ってる。
でも、そういう小さな積み重ねが、いつしか大きなことになるかもしれない。
それが大志を抱くってことかなとか思ったりしてね。
だから、独り言でこうやって書いて、同志と知り合うこととかもできたりしないかしらとか、淡すぎる期待とか、妄想をしてるのです。
郷に従うに関しては、政治だけの話じゃない。
芸能界、小売業界、建築業界……本当にそういう、もう出来上がってしまってる「業界」ってのは絶対に何かしら大きな所が力を持っていて、その力の大きな人(個人ではなく集団)が、大きく崩壊しない限り何も変わらない。
正直、彼氏さんと話をしていて、「もう大体、日本で、凡人の思いつく範囲での新しいことはし尽くされている」と言ってたけど、本当に最もだと感じた。
それこそ、発展途上国でも行かない限り、経営者としての成功の道は閉ざされたも同然だけど、私はやっぱり日本が好きで、北海道が好きなんだよなぁとか思ったり。
これは決して、保守的なことを否定するわけではないし、夢を抱くことを否定しているのではないのだが、
多くの人は、目的を達成するための手段が下手すぎるのと、成すためのカリスマ性や技量がなさすぎるからうまくいかないのだと思う。
例えば「無謀な挑戦だと思いますが!」とか、そんなの前置するくらいなら、どうしたら、それが実現できるかをもっと考えてひっそりやれよ、って思っちゃうくらい。
やって確かめるのは否定しないし、素晴らしい。でも、結果を出さなきゃ意味がない。悲しいかな。
余談だが、私は、UVERworldのtakuya∞の歌詞が好きだ。
でも、もし、彼らが小さなライブハウスで小さく主張してたらただの人生観のちょっとした主張でしかないし、私が彼の歌詞に触れることもなかっただろう。
彼らが本当にすごいのは、多分音楽業界という世界で、未来を見て、郷に従いながら、大きく成長して、自分たちの音楽を聞いてもらうために、人と繋がり、どんなに意に反する辛いことがあっても、大きなものを動かせるようになるまでにそこに従ってきたからだと思う。
だから、大きすぎる目標のために、小さくコツコツ、細かく目標達成し続けながら、自分の器を広げていくのが大事なんだろうなとも思った。
なーんて、偉そうに書いてみたけど、めっちゃフツーだし当たり前のことだよね。
目的を達成するためには、本当に郷には郷に従え、置かれた環境で咲く必要があるのだと常々思うっていうことを踏まえ、とりあえず仕事ではまともにいろんな提案のできる環境でありがたいなぁとか思って、新しいチームの立ち上げに参加してますが、、、
で、この場は、私のただの独り言なんで、
何言ってもまぁいいんじゃないくらいの気持ちで書き綴ってたりして。
でも、インターネツトという大きな郷の中にはいるのだから、少しは自分の主張が誰かにそうだよねーって共感してもらいたいのかもしれないね。
それが、私の欲なのかもしれない。