他人に不快感をあたえる会話を考える
これまで、人に対してあまりイラッとすることはなかったのだが、このところ、自分の度量が狭いのか、ある発言を聞くと、ものすごくムッとするということに気づく。
更年期かなぁと思う。
個人的にだが、
「その発言、他人からの評価を下げるからやめた方がいいよ」
と思う発言をいくつか考えてみた。
…先に述べるが、これを考えた時、
あえて自らの発言の意思に従わない人(不快感を持つ人)を排除する組織を作る(他人の評価なんて気にしねぇ!)
という考えを持つリーダーならば、こういう発言もありなのかもしれない…と思っている。
デリカシーのない発言を毛嫌いする人を排除し、生き残る人だけで構成するのを正義とする人である。
私は、個人的にはこういう他人の価値観を尊重しない視野の狭くなるタイプはどうも好きになれないようなので、前職も辞めたし、いまも少しそうなりつつあるのでウンザリしかけているのだが、、、
(ちょっとわかりやすい昭和な団塊世代の日系企業だよね?って感じがしてる……)
ただ、なぜか少しだけ、こういうのも成功するためには必要なのだろうか?と、疑問に感じることがある。
こういう他の意見を重んじないやり方って組織をガラパゴス化させ、弱小化させる気がしてるのだけど……、そんなことないのかな。
何が答えなのかなんてわからないけど。
と、まぁ、話が脱線したので、個人的に思う他人に不快感を与える発言に戻ろう。
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1. 何かを質問や、お願いをした時の
「前にも言いましたが」「前にも教えたよね?」「こんなのできるでしょ」「以前やってるの見せたよね?」
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言った、教えたは、自己満足だと思う。
教わっている側の状況や、重要度、背景などを全く意識をしておらず、物事を主観的にしか見ていない。
どんなに教えても、理解できない、実践が難しい人だっている。
10教えて10覚える人もいれば、10教えて1、下手すればマイナスになってなりうるのだ。
この発言は、自分が1番で、相手は1教えたら100%分かっている、という発想からくる「視野の狭い」発言に聞こえる。
そこに他人への敬意は微塵も感じられない。それでは他人の信頼は勝ち得ないだろう。
(根本的に1教えてマイナスになる人には、どう接すればいいのかは、なかなか解決方法が見つからないのだが…これはまた別に考えてみたい…)
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2.
「〇〇さんがあなたのことをこう言ってたよー」「〇〇さんがこんな噂していたよ」
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昔、「(業務的に関わりのない外国の人)〇〇さんが、あなたのこと知らない、そんなマネージャーいるんだーって言ってたよー」
と、隣の席のおっさんに言われたことがある。
そもそも、別に関わる気もなければ、私からしたらどうでもいい話題だった。
「まぁやってることも違うし、関わる必要ないからねー」と言ってスルーしたものの、
「もっといろんな人に関わっていったほうがいいよ!」とおっさんに謎のアドバイスを受けた。
関わる必要が出た時は関わるし、これもまた、こちらの背景を何も理解していないだけの押し付け発言だ。
他人がどう評価しようが、噂しようが、好きにすればいいと思うのだが。
中にはそれを間に受けて不安に感じてしまうような人もいるのだろうな。
まぁ、いずれにしても、良い影響を与える言葉ではないと感じる。
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3.
「あなたの言いたいことがわからない」
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一瞬、サイコパスなのかな?とか思ったが、サイコパスはそれを言わないで、完全な曲解をしているわけだから、こう発言して歩み寄ろうという意識があるだけいいのかもしれない。
ただ、発言がストレートすぎるのはすこし見直しが求められそうだと思うし、もうすこし、相手のことを考える視野を持つ必要がありそうだ。
まず、なぜ「言いたいことがわからないのか」の前提を考えてみるべきだ。
はっきり言えば、言っている方も「特に言いたい答えがないから」なのである。
だから伝えたいことがブレてしまうし、明確なものが出せないのだと思う。
例をあげれば、
「信号機の色はなんですか?」と聞けば、多くの人は赤青黄色と答えられる。これは答えを知っているからだ。
しかし、「信号機を変えるならばどうすべきですか」と聞かれたら、「???」となるのではないだろうか。
答えは、無限大だ。どの視点から見てなのか(渋滞解消とか?)、そもそも機能的な部分なのか(ライトを見やすくとか?)、まったくもって完璧な答えなど存在しない。
それに対して、「何を言ってるかわからない」と、言ったら、強気な人なら「質問の意図がわからない」と答えられるだろう。
もちろん、発言自体が得意ではないという人もいると思うし、いくつか答えを出してそれを綺麗に説明できればうまくいくこともある。
そもそも、最初からわかりやすい発言が出来る人は最初からこういう質問はされないだろうが。。。
つまり、頭の中で、ちゃんとした答えが出せていれば、ある程度、伝わる答えを述べられるはずなのである。
こういう発言をする人は、
「すべての人間が答えを持っていて説明できる」
という自己主観で物事を話していると思う。
答えがない、だから、今は出た答えに従うし、もし、答えを出された時に変だなと思うことがあればそれに対して物事を述べるだろう。
答えがないということを察する能力を身につけ、物事を整理し、広い視野でその人の意見を引き出すことが人の信頼を勝ち得ることに繋がるはずだ。
こうまとめてみると、どおりでその会議をしていた時、「勝手に好きにやれよ」という気持ちになったわけである。。。
答えがないことに対して、答えを聞かれたって、そんなの知らん、が答えなのだから。。
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4.
「何でも言えるのは強く発言できる人だけの要求が叶うことになって平等性をなくすから、最初から発言にルールを作ろう」
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この発言は正直苛立ちを通り越して、唖然としかけた。
自己ルールを押し付けてくる話し方をする人は、他人に平気で不快感を与えるのだなと感じる。
そこに良好な関係性は生まれないだろう。
この発言をした人(リーダー格)が、
「言いたい人が強くてなんでも通る、言わない人は我慢するという環境をなくしたい」
と言っていた。
言いたいことを持ってる人の発言を制限させるほど、環境悪化につながる気がするのだが…。
言いたいことを言う人の言葉の中には、不満が紛れており、それをどうやって可能な限りで解消するかがリーダーに求められることだ。
文句を文句で終わらせる人は多いが、文句を集約して文句にならないようにするために改善を続けるのが、リーダーの役割だと思う。
お客様からのクレームを解消するように、チームメンバーからのクレームを解消するのがリーダーだからである。
発言が強い人がなんでも通るようにさせてるのならば、ただのリーダーの管理能力不足なだけだろう。
自分は制御できません、だから最初から頭ごなしに言わせないようにする、と、能力の無さを平気で主張している発言である。
このように、
人に不快感を与える発言は、
総じて、視野が狭い発言だと思うし、
自分がやれない、できないを正当化させるだけの言い訳に過ぎない気がしている。
心の中でどう思おうが、好きにしろと思うが、それを口に出した瞬間、自分の価値を下げ、信頼を崩す。
だからこそ、他人への敬意を忘れず、広い視野を持って、物事を考えていきたいなぁと痛感させられるのである。
もちろん、人間だから失敗するし、簡単ではないのはわかってるけどね。。。
完璧な人なんかいないし、答えなんかないし、他人の評価よりも自分、としたほうがいいのかもなとか思うけど、人と関わって行きてるのだから、いろんな視点で物事を見れるようになりたいなぁと思った次第。
すぐにイライラしないように、心穏やかに生きたいものだ。