ご飯が沁み渡ると日本人で良かったと感じる
日々何気なくご飯を食べているが、
「ご飯ってこんなに美味しいのだなぁ」
と感じたことが今まで記憶する中で3回ある。
まず、もう5年くらい前だが、シアトルに二週間ほど出張しに行った時のことだ。
日々、ステーキ、ハンバーガー、フライドなんちゃらなどなど、
アメリカにきたのだからと、アメリカンな食べ物を食べ続け、かなりファンキーな胃袋になりつつあった時、10日目頃だったと思う。
韓国日本料理レストラン
というお店があったので、どうも和食が恋しくなって、同僚と入って、焼肉を食べた。(韓国料理やん?と突っ込まないでください)
その時に食べたのが、Steam Rice…炊いた米。
何米かはわからないが、粒が長くはなかったので、タイ米ではないと思われる。
その時、3人で
「米ウメェーーーー!」
と無心でかきこんだのをよく覚えている。
なんども「日本人はやっぱ米だね」と、みんなで言い合ったのはいい思い出だ。
ふっくらと甘みがあり、脂っこい胃袋を優しく包み込んでくれたスチームライス。
焼肉に米がベストマッチなのは間違いない。
アメリカンなジャンキー生活をしている方は米をゆっくり味わって見てほしいのだが、
あの上品な甘みは、ほかにない、米特有なものな気がしている。
次に米に感動したのは、鳥取県の高級旅館に行った時だ。
米子市の皆生温泉の旅館だったが、そこで肉やら魚やら、大変豪華な食事をした。
浴衣のレンタルなどがあり、中居さんの対応がとても良かった記憶もある。
その時はバス旅で、色々なところを巡ったツアーの宿泊地だったのだが、色々なところに行って、意外と疲れていたのかもしれない。
そこで本当に美味しかったのがごはんだった。
土釜で炊いたものなのだろうか、細かいことはあまり記憶がないのだが、とにかくごはんがふんわりと甘く、美味しくて、あまり米を食べないのに、その時はごはんをお代わりしたのをよく覚えている。
美味しい料理と一緒に食べるご飯にこんなに感動するとは思わなかった。
疲れていた体にごはんが優しく包んでくれたのかもしれない。
また行きたいが、なかなか鳥取も、高級旅館も、時間的にも貧乏道民には厳しいので、
あの頃の記憶をぼんやりと思い出して、美味しいごはんを食べたいなぁと思いをはせるのである。
最後に3つ目だが、それはちょうど昨日のことだ。
2つは旅の記憶だが、3つ目は日常だ。
昨日のご飯は寒くなってきたので担々鍋を作った。お供にご飯を炊いた。
ついでにうちが使用している米は、オーストラリア産の10キロ3000円もしない超安い米である。
彼氏曰く、
「炊飯器が高性能なら米はなんでもうまい」
だそうで、炊飯器がそこそこ良いものらしいので、貧乏家庭にも優しい安い米を買っている。
毎日食べてるご飯はあまりに普通で美味しいと感じることはなかったのだが、
昨日の米は少し違った。
たまたま京極町でお水を汲んできたので、それで炊いてみたのだ。(いつもは水道水)
すると……、甘みが全然違った。
ふんわりと、しっかり水が染み込み、もちもちとご飯だけで美味しさが充満した。
京極町のお水はまろやかでクセがないので飲み水としても好きだが、米との相性は抜群だと思う。
つまり、もちろん米の品種もあるのだろうが、
「水と炊き方」
も重要なのだ。
確かに良い炊飯器のおかげで、安い米も日々そこそこ美味しかったが、
昨日は炊きたての米を口に入れると「あ、美味しい」と素直に感じられるほどだった。
これで高い米を炊いたらどうなるのだろうか、と思ったら、少し良い米を買ってみたくなったのだが、貧乏家庭には(以下略
米は主役にもなるし、脇役にもなる万能戦士だと思う。
日本人はこんな主食で日々を過ごしていることに感謝してもいいのかもしれない。
どうでもいいけど、なんでアメリカって米って書くんだろう、と思ったら、ジョン万次郎が「米利堅」(メリケン)と言っていたものからきているらしい。
アメリカは「米国」(べいこく) だが、
日本は「米国」(こめぐに) である。
おそまつさまでした。